利休忌

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2019.3.28(木)

今日は、利休忌です。

千利休は天正19年旧暦2月28日(1591年4月21日)に秀吉の命により切腹しました。
千家ではその1ヶ月後を命日としています。昨日、3月27日が表千家の利休忌で、今日3月28日が裏千家と武者小路千家の利休忌となっています。
なぜ1日違っているのかと調べましたが、よくわかりませんでした。
その「1月後」の解釈が表千家と裏千家で異なるためなのでしょうか。
そのため、表千家では3月27日、裏千家と武者小路千家では3月28日に利休忌を行い、追善の茶会を催しています。

利休が切腹をした時に、床に菜の花が活けてあり、また利休が愛した花だったことから、利休忌には菜の花を飾ります。
利休忌が過ぎるまでは菜の花は飾りません。

○利休の時世の句

『人生七十 力囲希咄
吾這寶剣 祖佛共殺
堤る我得具足の一太刀
今此時ぞ天に抛 』

利休さんの最後は Wikipediaでは、このように述べられています。
天正19年(1591年)、利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる。前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年70。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図る恐れがあることから、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられる。死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたという。

利休が死の前日に作ったとされる辞世の句が残っている。
人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛
掛け軸にも書かれているこの句、正直言葉で聞いても判りにくいので下記の解釈を引用させてもらいます。

人生ここに七十年。
えい、えい、えい!(忽然と大悟した時に発する声)。
この宝剣で祖仏もわれも、ともに断ち切ろうぞ(まさに、活殺自在の心境)。
私はみずから得具足(上手に使える武器)の一本の太刀を引っさげて、
いま、まさに我が身を天に抛つのだ(いまや、
迷いの雲も晴れた、すっきりした心境)。
[中公文庫 利休の死;小松茂美(中央公論社)より]

「人生ここに七十年。えい、えい、えい! この宝剣で祖仏もわれも、
ともに断ち切ろうぞ。
私はみずから得具足の一本の太刀を引っさげ、いま、まさに我が身を
天に抛つのだ。」
コミックモーニング「へうげものより」

七十年のわが生涯を顧みると、
そこには悲喜・苦楽・得失・栄辱、まことにさまざまなことがあった。
しかし、その人生ともおさらばじゃ。
といって、今のわしには生への執着もなければ死の恐怖もなく、
また恩怨もなければ愛憎もない。
力囲!! 咄!! エイッ!! クソッ!! 一切合財、これでご破算じゃ。
そしてわしのこれから超人する世界、そこには悲喜も苦楽も、
得失も栄辱も、さらには迷悟も生死もない絶対の世界である。
さあ、これからその世界で自由自在に遊戯三昧をしようぞ。
[人物叢書 新装版 千利休;芳賀幸四郎(吉川弘文館)より]

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