茶道の心を表わす「一座建立」「一期一会」それぞれの言葉の意味を新たに思い考える。
「一期一会」という言葉を作られたのが、利休の高弟・山川宗二です。
「一期一会の参会のように」がその源流と言われています。この意味について井伊直弼が『茶湯一会集』の中で次のように解説しています。
<たとえ同じ顔ぶれで何回も茶会を開いたとしても、今日ただ今のこの茶会は決して繰り返すことのない茶会だと思えば、それはわが一生に一度の会である。そう思うと互いに粗略に扱うこともない。真剣な気持ちで、何事もなおざりにすることなく一服の茶をいただくことになる。 >(WEBサイト「井伊直弼と開国150年祭」より)
「会ったその瞬間を、人生でたった一度の出会いと思い、その出会いを大切にするために心を込めること」が「一期一会」。
それを別な言葉で表しているのが「一座建立」。茶道での主人と客の一体感を意味する言葉です。
「たった一服のお茶のために主人は、さまざまな趣向、工夫を凝らして茶室をしつらえ、道具を組み合わせ、心を尽くした点前を出す」こと。
この2つの言葉を紐解いてみると、いずれも私たちがイメージしている「おもてなし」と通じるものがある。
「たった一度の出会い、たった一杯のお茶を出すだけであっても、そのために最高の準備をする。その出会いは、提供される側も客という立場ではなく、お互い尊重しあい、その瞬間を大切なものとして尊重しあう」
だからこそ、「おもてなし」は外来語の「サービス」や「ホスピタリティ」では言い表すことのできない美しい日本語として残されている。
おもてなしについて考える。
サービスではない心。
そんな空間に迷い込んでしまった♥
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