大炉は、裏千家では十一世玄々斎が嘉永二年(1849)年知恩院門跡尊超法親王(華頂宮)を迎えて献茶の折に咄々斎の暖のために隣の六畳間に切られ、薄茶もここで行われたといいます。 「大炉は一尺八寸四方四畳半左切が本法なり。 但し、六畳の席よろし」として、六畳間に一尺八寸四方で逆勝手に切るのが約束で、厳寒の二月に限り開かれます。 北国の囲炉裏から好まれたといい、炉縁は北山杉木地丸太、炉壇は聚楽土に墨を混ぜた鼠土で灰色に仕上げます。 炉に向かって右手前寄りに五徳を据え、反対側の左向隅に玄々斎好みの楽焼の雪輪瓦(ゆきわがわら)を立てて灰仕切りをしますが、直径八寸ほどの古瓦を用いることもあります。本歌の雪輪瓦は慶入造で、飴色で渦の彫りが施され色紙形の金箔押しがあります。 仕切瓦の向こうに、湿灰の盛灰をし灰匙を立てておき、初炭で湿灰をすくって炉中にまき、中立の間に後炭の炭を雪輪瓦の向うに荘ります。点前も、玄々斎の創案になる逆勝手での点前があります。
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