粉引茶碗(三好) こひきちゃわん(みよし)

和敬清寂

「千利休」の中に出てきます茶碗“三好粉引”について

三井記念美術館 東京都中央区日本
国宝・重要文化財

三好粉引は、添状により三好長慶(1522~64)が所持していたことが知られ、「三好」の銘もこれに因んでいます。
その後豊臣秀吉(1537~98)、金森宗和(1584~1656)、北三井家を経て、安政2年(1855)に若州酒井家に移り、大正12年(1923)の同家売り立てで再び北三井家に買い戻されました。
素地は灰黒色を呈する陶胎で、腰が丸く張り、口縁が端反りとなる茶碗。轆轤水挽きで薄く成形される。茶溜まりに渦状の轆轤目が残り高台は竹節状に削り出し、高台内に低く高8.1~8.3  口径14.6~15.4高台径5.7 (㎝)
1口

粉引とは  
粉引茶碗は朝鮮半島で焼かれた高麗茶碗の一種。
見立てによって取り上げられた高麗茶碗の一つです。灰黒色の胎土に白土を薄く掛けた柔らかみのある釉膚が、あたかも粉を刷いたように見えることからこの名があり、粉吹とも呼ばれます。
茶会記における高麗茶碗の初出は、『松屋会記』「久政茶会記」の天文6年(1537)9月12日の条で、天正年間(1573~92)になると、記載頻度が急増。
もとは、朝鮮半島の地方の民窯で焼かれた日用の器や祭器が、茶の湯の茶碗として見立てられたもの。
高麗茶碗は16世紀末頃になると、日本の茶人が好みの茶碗を朝鮮に注文して焼かせるようになりました。
 朝鮮陶磁史の流れの上では、鉄分を含む胎土に白土を用いてさまざまな装飾を施す粉青沙器の最終段階に位置づけられます。
 

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